THIS MOMENT

LOVE THIS MOMENT.
LIVE THIS MOMENT.

中世経済小説狼と香辛料」に羊飼いが登場したが、まさに羊飼いは、その羊に愛情があるかないかという話とは別に、数百にも千にもおよぶけだものの機先を制し、おどしつけ、あついは群れの側のリーダーを抱き込み、結果的に思いのままに方向性を定めていく。警官を含めた官僚をかつて「牧民官」と呼んだのは、ある意味ただしい。

繰り返すが、そこにある(求められる)のは本質的には愛情ではない、スキルだ。

そして、そのスキルに特化するのはとくに悪いことではない。

政治は結果だ」以上に「警備は結果だ」であり、混乱や負傷者、逮捕者数を抑えられれば勝ちなのである。

「スーツを着なくていい会社」はいいことだと思うけど「スーツ着てると馬鹿にされる会社」では働きたくねーなって思う。
ごね得ってのは好きじゃないかもしれないけど、ごねない損ってのはマジであるから気をつけろ
言ったもん勝ちじゃなくて言わないもん負け
ここで注意しておきたいのは,自尊心を求めているのはみんな同じ,ということだ。誰でも,日常がうまくいかないときには「とりあえず批判することで自尊心を得たい」と思うことがある。だから,新しいものを見たら批判する人というのは,最近ちょっと日常がうまくいっていない,ちょっとかわいそうな人なのである。僕だって疲れているときはそうなることもある。広い心で許すのがよいありかたである。

brassier:

this is amazing

(出典: alexsnotsosecretworld)

インテルのサイドバックを務める長友佑都は「スタミナの秘訣は梅干し」と明かしている。梅干しは日本で生産されている塩味のプラム。

目についたものをとりあえず始めることは簡単だけれども、常に自分自身に「もっと重要なことはないだろうか? なぜそれをしないのだろうか?」と聞かないといけない。それは直視するのが難しい質問で、この質問を繰り返していれば世界で一番重要な問題にとりくんでいないのはなぜだと自問することになるのだけれども、この小さな一歩が生産性を上げることにつながるんだ。

It’s easy to start working on something because it’s convenient, but you should always be questioning yourself about it. Is there something more important you can work on? Why don’t you do that instead? Such questions are hard to face up to (eventually, if you follow this rule, you’ll have to ask yourself why you’re not working on the most important problem in the world) but each little step makes you more productive.

not-a-pretty-girl:

julia ponomareva

やめていく圧倒的多数派は、次のようなタイプだ。

 まず、単純作業について、何度教えても一定レベルよりも上にはいかない。こちらの要求基準を充たすことができない。作業割付を与えても時間どおりにはそれをやれない。客が途切れるとぼーっと立っている。そして、あとでできなかった理由を聞くと、かならず「忙しかったから」と返ってくる。

 実はこのタイプの人を動かす方法を俺は知っている。怒鳴ることだ。怒鳴って、恐怖を与えると、これらの人々は動く。または罰則を与えることだ。既定の仕事(もともと自由度の高い職場なので、既定といってもそれほど要求は高くない)をこなせなかった場合に、かならず怒る。そうすると、働く。

 俺はこの作業が大嫌いだ。怒る人間のいる職場は、全体がそういう空気になる。店の内部がピリピリしていれば、雰囲気のいい店にはならない。それはほかならぬ俺がオープン当初の1年で実証済みだ。もちろん店のレベルは上がるが、接客の要となる「歓迎する空気」が絶対に出ない。その当時のことはかなり強い自己嫌悪とともに思い出されるもので、できうることなら、同じことを繰り返したくはない。それ以前の問題として「怒れば恐怖で動く」という関係性は本当にきつい。時給を払っていて、この時給でここまではやってくれという要求基準はとうぜんある。怒鳴ればできるのだ。できれば怒鳴らなくてもやってほしい。これは、構造が体罰と完全に同じだ。そこまで無理な要求基準だっただろうか。自問自答してもそうは思えない。

 できる限り気楽に、無理なら働けるというのはどういうことだろう。俺はずっとそう考えてきた。自分自身が働くのが嫌いだからだ。こうやって文章書きに費やす2時間は仕事の2時間よりもはるかに楽しい。

 その答えを俺は「自分が得意なことをやって、それをモザイクのごとく組み合わせて、店の総力を上げて、バイトに還元する」というところに求めた。まちがっていないと思う。いい店であり、いい職場になったと思う。

 先日、うちの店を「つまんないから」という理由でやめて、別のところで働きはじめたバイトの話を人づてに聞いた。どうやらその人は、世のなか的にブラックとしかいえない業種で働いているらしい。

「もうずいぶんと続いてるらしいですよ」

 その話をしてくれた店長補佐が言った。

「え、あいつが?」

「あれじゃないですかね、私も一度この店やめたときに、ほかのバイトやったんですけど、意味ない規則多すぎていらいらしたんすよ。しかもこれやれば売れるってわかりきってることぜんぜんやんないし。だから戻ってきたんですけど、この店のほうがやっぱ楽っすね」

「仕事はどっちがきつい?」

「立場が違うからなんともいえないけど、忙しいのはまちがいなくこっちっすよ。やることだらけじゃないですか」

「でも楽なんだ」

「そりゃあ、やりたいようにやれますから」

「じゃああいつは、なんでその職場のほうが続いてるんだ」

「そっちのほうが楽だからじゃないですか。そういう人もけっこういましたよ」

 そのやりとりでなるほど、と思った。

 うちの店に脅迫めいたものは基本的にない。ノルマもない。最低限の仕事、つまりレジ打って揚げ物作って、売場のフェースアップをやっていれば叱られることもない。じゃあヒマな時間はなにをやっているかというと、それぞれがPOPを書いたり、自分の担当の売場を作りなおしたり、掃除が好きなヤツはコピー機を磨きあげたり、レジを光らせたりしている。それをしてみんな「忙しい」と称する。そういう分担みたいなのができたのは、しぜんにそうなった場合もあるし、俺が「君、ほんとに掃除好きだな。苦にならないの?」「モノ光らせるのたまんないです」などのやりとりの果てに「じゃあ君はヒマな時間はそれやっててよし」みたいなかたちで任せたものもある。自主的、とまでいえば言い過ぎだろうが、少なくとも「嫌いなことはできるだけやらない」の結果として、居心地はよくなっている。俺自身、ポイントカードの獲得は大嫌いだから、パートのおばちゃんに丸投げだ(ほんとにオーナーかおまえ)。

 この根底にあるのは「時給をもらっている時間は仕事をする」というモラルだ。俺はなにも脅迫めいたことはしていないと書いた。可能な限り強制もしない。しかしたったひとつ、無言のうちに強要しているものがひとつだけあった。それがモラルだ。

 やめていったバイトは、その環境に耐えられなかった。そうしてそのうちのひとりが、最初からルールとノルマで縛り上げた業種でうまく働いている。もともと接客は悪くはなかった子だ。やりがいがある、と言っていたらしい。仕事はマニュアルの丸暗記から始まって、対応も決まっている。そしていかに押し込んで契約を取るかが勝負らしい。もちろん歩合給だ。

 俺にはこれが、体罰の延長線上(あるいは手前)にある構造に見える。そしておそらくは、そうしたものは常に必要とされている。なにしろ俺は、あまりに多くの「怒鳴らなければ動かない」事例を見過ぎた。もちろん、読む人はこのことを俺の指導力不足だとみなしてもかまわない。本当はまだやれることはあるのに、それを実行しないで体のいい逃げを打っているだけだろうと、そう思ってかまわない。原理的には俺もそうだと思う。

 しかしこういうことは「どこまでその人の内部に立ち入るか」ということと引き換えの部分がある。おそらくその人の全存在を受け止める気があれば、逃げを打つ必要はない。しかし俺は親ではない。仕事という前提において引き受けられる人間の部分には限界がある。その場合、別の職場で働くほうがいいだろう。もしそこまでやってしまうのであれば、それはもはや自主性の搾取と呼んでもいい。そして程度の差はあれ、俺はすべての従業員に対してそれをやっている。口に出していないからといって圧力が存在していないわけではない。その集団が同じ条件で動いている場合に、そうでないものにかかるのは同調圧力と呼ばれる。

 こうやって考えていった先にあるのは、つまり「労働は搾取である」というどこかで聞いたような言葉になるだろう。しかし俺はそう信じることは「許されていない」。なぜなら、俺は現実に店を経営し、バイトを使い、そして利益を出して自分も食っていかなければならないからだ。俺は思想家ではない。自分内部の葛藤など自分だけの問題だ。俺は「バイトにとって居心地のいい職場を」というお題目のもとに、陰ではだれかを切り捨てている。俺にそのつもりがなくても、現実にそうなっている。俺がやるべきことは、この現実という与えられた条件のなかで、最善を目指すことだけだ。

 そして、最善は実現しない。それは静止状態だからだ。社会が動いているのである以上、最善も動きつづける。それゆえに、永久に考えつづけるほかない。

 この、現実とやらのなかで。

1. 自分の意見をしっかり持つ
「何を当たり前のことを!」と思っているかもしれませんが、こういう人は割と多いもので す。自分の意見がないと「相手に気を使う」あまりに話が長くなってしまう原因になります。話をするときに相手の意見を聞くことも大事ですが、言いたいこと が言えなくなる前に、自分の意見を話してしまいましょう。

2. 具体例を多用しすぎない
具体例は聞いてい る方も、話し手の内容がイメージできやすく大切なものです。しかし、話の本筋あっての具体例です。1分であれば、伝える内容は1つか2つくらいだと思いま すから、具体例も1つか2つくらいがいいのです。「たとえばさ」「そういえばさ」と延々と具体例を続けすぎないように気を付けましょう。

3. 逆接の接続詞を多用しない
話が分かりにくい人は「確かに~~しかし…」「だが」「とはいえ」と逆接の接続詞を多用し ているものです。物事には裏表がありますから、「一方の意見」があって当然ですが、それにこだわってばかりいては話しがなかなか前に進みません。まずは逆 接の接続詞で自分の意見をいう前に、「イエス or ノー」と自分の結論を伝えておいた方がいいでしょう。

4. 自分の得意ネタに持っていかない
会社の中でいつも同じネタで話をする上司はいませんか?たとえば、最近なら「坂本龍 馬」を題材にして話す上司。他にも「自分の過去の武勇伝」を題材に話す上司。そういう人は聞き手の気持ちを受け止められていません。だから、いつも同じ話 をしてしまうのです。自分にもそんな心当たりがあるときは、「得意ネタ」ではないことを話すということを考えてみましょう。そうすると、聞き手の顔がよく 見えてくるはずです。

5. 同じ話を何度もしない
同じ話を何度もしている人は、それに自分では気がつ きません。聞いている方だけが気がついているのです。同じ話を延々としてしまう人は、何を結論にするか明確でない場合がほとんどです。話をするときは、あ る程度結論を考えながら話をしましょう。

6. 全体像を伝える
几帳面な人は、丁寧に1から 話さないと気が済まないことも多い。たとえば、タクシーに乗って「薬屋を右に、たばこ屋を左に…」と全部の道を伝えようとする人だ。新聞もタクシーも同じ ように「大きなテーマ」がまずあります。新聞なら「大見出し」、タクシーなら「目的地」とその後に、細かい話になっていくように、まずは大まかに説明して しまいましょう。相手がそれについて何かを知っている場合、話す量はだいぶ減ることになるでしょう。

7. 反論される前に言い訳しない
話す途中で、これから起こりそうな反論が怖くなり、事前に言い訳をしてしまう人がいま す。否定されたくないからといって、先に反論に対する言い訳をするのはやめましょう。反論に対する言い訳をしているうちに、あっという間に1分は過ぎてし まうものです。

manchannel:

Bowler Hat Sugar Bowl

疲れる前に休む
寂しくなる前に人に会う
散らかる前に掃除する
金がなくなる前に働く
腹が減る前に食う
遊び飽きる前に切り上げる
あいさつは先にする
だれる前に別れる
情報は全て誰かの願望と心得る
一日一度は嘘をつく
bunnyfood:

(via cineraria:YouTube)
私は20年東京中小企業に勤め、その後アメリカの中小企業に転職して今年で10年目になるプログラマですが、私の経験から言うと、家族と仕事のどちらに重点が置かれるかが、アメリカと日本のサラリーマンの最大の違いだと思います。


ここアメリカでは、家族と一緒の時間を最も大切にして、会社はあくまでも収入を得る手段であり、そこで1日のうちの8時間以上を過ごすのは愚かである(自分や家族の人生を大切にしないと言う点で)と考えます。社長以下、すべての上司も同じように考えているので、滅私奉公などという発想はありえません。そういう発想の人は多かれ少なかれ家族に問題が発生し、その結果生産性が下がり、いずれレイオフされるでしょう。


仕事は家族の次に大事なものです。何といっても1日の三分の一を過ごすわけですから、その範囲で目一杯やる。


日本では、家族と仕事の両立は難しいといった論点をよく耳にしますが、それは自分と自分の家族を仕事の下に配置すると言う発想が根本的にあるからです。両立が難しいなら、仕事を変えればいいのです。それをしないで自分と自分の家族を犠牲にし続けた結果、自殺が増え、子供たちは引きこもりになり、妻には定年になった途端に縁を切られるということになるのです。
More Information